[ペンペン草]

「車とテレビの古い話」

Aug. 28th 1999

FNさんちの車の歴史

1959(昭和34年)


私の兄が小型四輪の免許を取り、中古のトヨペットスーパー(57年型)がFN家にやってきた時から始まる
其の当時、私はまだ小学校の5年生位だったのですが、すでに車庫の出し入れなどをやっていました。



1961(昭和36年)頃


やはり中古のオースチン・ケンブリッヂになる。右は兄が乗っていたスカイライン
このころ、SB食品が、モニターを公募して、宣伝用に黄色いルノーを一年間乗ってくれたら、その後は上げます。と言う話があり、家中で応募した覚えがあります。
因みに、格段に安かった日野ルノーは、それでも60万位、子供の私には想像も付きませんでしたが、給与の50ヶ月程にも相当したと思います。

家族みんなで応募した・・・と言えば、トヨタがパブリカ発売に際して、名前を公募しました。名付け親は勿論車が貰えると言うので、 各国語の辞書を広げて、応募したのですが、ダメでした。

この頃、タクシー初乗り\70(小型)\80(中型)でしたが、ルノーのタクシーは\60だったような・・・
他の車としては、スバル360、いすゞヒルマンなど



1964(昭和39年)


初めての新車はトヨペットコロナ(RT20)、ニッサンファンだったのですが、Blue Birdの尻下がりのスタイルが気に入らず家族で決めました。
思えば日産のカゲリの原点はここらだったりして・・・

ブルーバードは、ダットサン(211)から、初代のいわゆる「カキノタネ」「トックリ」(310)を経て、「象のオメメ」(410)がこの尻下がりのデザイン(イタリア、ファリーナ)?(違ってたらゴメン)に。


そうそう、16才になった私は軽自動車免許を取得しました。
また、この頃は、ニッサンはセドリック、ブルーバード、プリンススカイライン、グロリア、トヨタはクラウン、コロナ、 いすゞベレル、ベレット、日野コンテッサ、マツダキャロル、クーペ、ホンダS600, S800など各社が続々とニューモデルをだしました。



1966(昭和41年)頃


写真はオースチンヒーレースプライトとフェアレディー・・・本文とは関係有りませんが、 兄が車を扱っていたので、その後マッハ1コプラジェットなどと言う化け物を始め、フォードインパラー、ギャラクシーさらに クライスラー、オールズモビルのモデルなど、いわゆるフルサイズのアメ車や、フィアット、オペルなどに数多く乗るチャンスに恵まれました。
FNさんちの車はニッサンサニークーペに
高校三年に成った私は、誕生日を待って、大型免許、三級整備士(シャシ)取得! そう、それくらい車好きでした。
試験は府中の運転免許センターで、ニッサン780でした。

この頃特筆すべき車はボンドカーのトヨタ2000GT、バンケルエンジン(ロータリー)のマツダコスモなどでしょう。


1968(昭和43年)頃


この頃は、FNさんちの車から、私個人の車になっています。最初の車は中古のブルーバードSSSクーペ、 俗に言う510というやつでした。

で、この写真は・・・と言うとアルバイトでコマーシャル写真の撮影・・・当時の人気雑誌、 平凡パンチ、プレイボーイ等に掲載されたものです。
因みに、写りこんでるのは私です。

アルバイトは他に、ニッサンディーゼルで陸送をやりました。すっかりハマッテしまって、とうとう大学4年の3月31日、そう明日が入社式と言う日まで 精を出しました。
おかげで、当時のシャシは殆ど乗りました。解る人だけ解るとおもいますが、5T,6T,PT,PTCは勿論のこと、 普通では乗れない、例えば8TC(運転席の高さが3.2Mのトレーラーヘッド=トラクターとも言う)、輸出用左ハンドルまっシャシー (いすを木で作ったもの)、クレーン台車(幅3.5M)、旧ソ連向け木材運搬車(幅3.2M)・・・
上尾から寒川、古河、佐野、宝塚、ボディーメーカーから全国ディーラー・・・色んなところへ行きました。


FNさんちのテレビの歴史

1954(昭和29年)


私自身子供なので、テレビが価格的にどんなものか解りませんが、親が1インチ1万円14インチで140,000と 言っていたのを覚えています。過日テレビの番組で国産一号機=早川電機=シャープのテレビが\70,000と言って いましたが、多分こちら(私)のほうが正しいと思います。
何故かと言うと、この頃のテレビは当然の事ながら、オール真空管、毎週の様にテレビ屋さんが修理に来ていた ような気がします。修理代はある程度取るにしても、最初が高くなかったら、とてもあれだけ来られ無い・・・と思うからです。

で、どんなテレビだったかというと14インチで右下のチャンネルは回転式1〜6、周りが微調整、左下がSWとボリューム 真中につまみが5〜6ケ入ったふたと言うかケースがついていました。
実はこれより前の5〜6インチの真ん丸いブラウン管のテレビも知っているのですが、私がまだ小さかったので、うまく説明できません。 相撲中継を見た覚えがあるくらいで・・・

今と決定的に違うのが、放送時間。夕方5時位からテストパターンが流れ、本放送は6時位から10時位まで 朝も少し放送があったかも・・・
人形劇の元祖がひょっこりひょうたん島と思っている人が多いと思いますが、私は「テレビ太郎」なる番組を覚えて います。
あと記憶にあるのは、「日真名氏とびだせ!」(もしかすると字が違うかも)三共製薬の提供だった事まで覚えています。
「今日の出来事」は、確か夜9:00から9:15東芝の提供で、スポーツテーマでの始まりだったと思います。
NHK「ハイウェイパトロール」ダン隊長と「ラジャー」ではなく「テンフォー=10-4」これが判る人はかなりの通。、


1961(昭和36年)頃


NHK、日本テレビ、TBSこれしか写らなかったテレビが新しくなりました。
実は6チャンネルテレビがあだとなり、その後開局したフジテレビ、日本教育テレビ(NET) =初めは教育テレビとしての免許でした=後にテレビ朝日、が写りませんでした。
「ララミー牧場」がどうしてもみたかったのですが・・・


1966(昭和41年)頃


カラーテレビになりました。
それまでは白黒画面の上に、三色のフィルターをぶら下げて見ていました。
もともと、一番上が青、真中緑、下が赤の色が入っているフィルターなのですが、 これで西部劇=これも最近見ませんね=などを見ると摩訶不思議、カラーみたいに見えるのです。 ・・・これ、ホント。


1976(昭和51年)


ビクターのVHSビデオを購入
\270,000、生テープ60分一本\3,000程度、皆さん信じられますか・・・
この時の給料が約\80,000でした。
・・・・あれを見たいばっかりに・・・
同じ頃、ワープロ登場!!キャノワード、セットで約70万、この前の年には\2,000,000 だったと言いますから、随分やすいのでしょうか・・・???
格言「早物買い?の銭失い」
このころからFNさんちの貧乏の歴史が始まり、今日を迎えるわけです。



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