ペンペン草


「友人・知人・年賀状そしてSNS」

Jan. 8, 2013


このお正月もたくさんの「年賀状」を出したが・・・

正直本当に親しい人は何人?

仕事をしているときはいやでも新しい出会いがあり、たくさんの人との縁が生まれる。
しかし退職してしまうと、そう云うものはほとんどなくなり、人間関係の“確認”ができるものが、唯一「年賀状」になってしまう。
しかも、その「年賀状」のうち今年会うかもしれない人は極めて少なく、大多数がおそらく死ぬまで会わないだろう人たちだ。
それでも私は去年いただいた人には勿論、1−2度戴かなくても出すことにしている。

世の中では虚礼廃止とか、「ろくに近況も書かずに出しても意味がない」とか、「本当に親しい人には直接会うか、 そうでなくてもメールや電話で事が足りるので“年賀状”など必要ない」との理由で年々“年賀状”を出す人が減っている。
でも、私は全く逆に考えている。私にとって“年賀状”は、昔ゆかりのあった人と繋いでくれる「唯一の糸」なのだ。
“年賀状”があっても、全国のかつての友人知人に会うことは稀である。しかし、会おうと思えば会える・・・。それが大事なのだ。
私自身が“年賀状”のおかげでこの数年だけでも、何人もあり得ない再会を体験している。

出張で出掛けるのとプライベート旅行では全然違う

歳をとったせいかも知れないが・・・

若いころから出張が多く、全国津々浦々・・・とまではいかないが、結構各地に行った。
しかしその頃は、ついでにここに住むOOさんに会ってみたい・・・などとあまり思わなかった。やはり仕事優先なのだ。
ところが最近はxxにはOOさんがいる。というのを念頭において旅するようになった。
逆もまた真なり?なのか、最近は年に1人か2人懐かしい人が訪ねてくれるようになった。いづれも年賀交流だけの友人知人だ。

だからどうした。と言われてしまえばそれまでだが、同じ時代、同じ時を過ごした人と会うのは楽しいものだ。
3年ほど前から、昔所属していたサークルの同窓会をやっているが、同じ時代を過ごした人と会う事で、実は自分自身の 過去を再確認しているのだと気づいた。
これからも最後の糸は切らないように大切にしていきたい。

似て非なるもの・・・SNS

今やSNSが大流行おおはやり・・・

先日フェースブックで義理の妹が、ウォールの書き込みが本人のセキュリティの意識とは関係なく、世間に曝されてしまうことを憂いていた。
つまり、ウォールの閲覧を制限していても、例えば友人がコメントしたり“いいね!”を入れただけで、その友人のセキュリティレベルまで実質が下がってしまうのだ

一方で個人情報の保護に過剰とも思える反応をしていながら、SNS上では「笑っていいとも」よろしく「友達の友達はみな友達だ」精神で、「友達」を増やしている。
「友達の友達」は「友達の友達」であって、自分の友達ではない。あくまで知人のレベルだ。もっとすごいのが、友達の友達の親とか、会ったこともない人と友達になっていませんか?

フェースブックなどの催行者側は、ネットワークが拡大すればするほど、SNSとしての価値が上がり、広告収入も増えるので、やたらに煽ってきます。
「もしかして、知り合いではありませんか?」友達の友達ですから、「知り合い」のこともよくあります。でも「お友達」ではありませんよね?
さらに悪意にさえ感じるのが、セキュリティのデフォルトの設定です。
本当ならば、非公開をデフォルトにして、「このままだと誰も見れませんよ」とコメントすればよいのです。
確か、黙ってると「公開」になってると思いますが、基本データなどみーんな集められてますよね。しかも削除が面倒なのは、ここでたびたび話題にしている「ヤフー」と同じ。
IT業界ってどうして、入るのは簡単で出るのは難しいように作ってるのでしょう? タコ部屋か?←また怒られる。

SNSは年賀状と同じく人と人との糸は何とか繋げるがリスクは年賀状の何億倍?も有るのかもね?
みなさんもほどほどに

今年は年始から早々に

ペンペン吟じてみましたが・・・

結局はいつもの愚痴。。。新年早々ご無礼申しました。(*- -)(*_ _)ペコリ


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